土. 4月 27th, 2024

先日、一人で酒を飲んだ帰りの事である。私はモンハンNow(地図ゲーである)をやりながら、少し遠回りをしてファミマに寄った。その時に、ある雑誌の見出しがふと目に入った。

「チン活で80代までビンビンになる方法」

まぁこの手の雑誌はよく見かけるし、それほど珍しくもないテーマである。ほーん、と思って、とりあえず飲酒後だし甘いものでもと思い、GODIVA監修のフラッペを買った。ちなみに、ファミマでフラッペを買うのは人生で3度目であり、1度目は何も知らずにそのまま持ち帰って「硬ぇな」とぼやきながらスプーンで食うという失態を犯したが、揉みほぐしてからコーヒーマシンのミルクを入れるのが正解である。しかし人生3度目の俺は、フラッペが硬すぎて「これ揉みほぐせねぇな、ミルクを先に入れるのかも」とミルクを先に投入し、余計に揉みほぐしにくくなるという壁にぶち当たった。せっせと揉みほぐしながら、またモンハンNowをしながら少し歩いた。

そこで、ふと気になり始めたのだ。「チン活で80代までビンビンになる方法」である。

現在、年金問題や高齢化社会において「生涯現役」というのはひとつのテーマである。年齢を重ねても現役でありたいというのは頭が下がる思いだが、ビンビンの話になると、頭が下がるどころか、別のモノが上を向く話だ。「仕事をする」という話なら社会が受け入れればできるし、「スポーツをする」という話でももっと若い人とテニスでもすればいい。しかしこれはテニスではなくペニスの話だ。ちなみにいま「ちょっと上手いことを言ってやった」という顔をしているが、最低の発言である。

いざ80代になってビンビンを手に入れたとしても、そう簡単に誰かに相手をしてもらうわけにはいかない。仮に20歳ほど歳の差があったとしても、相手の女性も60代であり、現役であることをもはや求めていなさそうな年齢である。そうすると、80代まで現役である意味がなくなってしまう。それこそモンハンで言えば、武器は磨いているのにモンスターが絶滅している状態になる。

では、女性ならどうなのか。まぁ女性誌など見る機会はないが、恐らく女性誌に「80代まで抱かれよう」というコンセプトの記事は載っていない気がする。かといって「80代のジジイに抱かれたい」という40代とかもいない気がする。だったらもっと若い男性を選ぶだろう。

ならば、80代のビンビンは、そのビンビンを誰に使うのか。

気になる。気になって仕方ない。

その結果、気づいたらファミマに戻ってきていた。

しかし、ここで重大な問題が生じる。それは「揉みほぐしに時間がかかったフラッペ」である。いくら吸ってもなくならない。私は焦った。その焦りが、重大なミスに繋がってしまった。立ち読みで済ませればよかったものを、レジに持っていってしまったのである。薄っぺらいのにDVDがついているせいで935円だ。

だが私は、これで生涯現役問題を解決できるくらいには熟読できる。安い物だ。そしていざ熟読しようと目次を見たら、なんと「チン活で80代までビンビンになる方法」という文字が見当たらない。代わりにあったのは「漢ならいつまでもビンビン元気に!!チン活アイテムのすゝめ」であった。80代の話がどこかに消えている。そして、そのページを開いてみたら、文量はたったの2ページで、アダルトグッズが何点か紹介されているだけだった。

なんということだ。私の疑問は何も解決していない。ただ「へぇ、ビンビンになるクリームとかあるんだ」という知識を得ただけである。

私は途方に暮れた。もうこのヤマはお蔵入りだ、どうしようもねぇと諦めていた。

ところが、それから数日経ったある日、また同じファミマの本棚が私に呼びかけてきた。

「70代でも元気にSEXしてます!高齢者の SEX事情」

まるで私の落胆を見ていたかのようだ。しかし私も学習している。私はそっと手に取り、その雑誌を開いた。立ち読みで済まそうという腹である。その記事をざっと読んで帰ってきたので、以下に要約する。

「風俗」

そりゃそうだ、と、薄々勘づいていた結論に行き着いた。

確かに、金を払えば高齢者も性的サービスを受けられる。金はあるが相手がいない高齢者にとって、もはや福祉だ。ぶっちゃけ「これは合法なのか?」みたいな事も書いてあったが、詳しくないので割愛する。

しかし、「先立った妻が生前『私が死んだら若い人と再婚してね』と言い残していましたが、その言葉に後押しされて風俗にハマりました」という70代男性の言葉を見ると、先立った妻もあの世で後悔していそうな気がしたが、そこは例のキャプチャ画像とともに「でも幸せならOKです」と言う他ない。

かくして私の高齢者の性事情についての考察は終わった。やはり金だ。

とはいえ、生涯現役を貫くのもいいが、穏やかに余生を過ごすのも恐らくいいものである。仕事に定年があるように、「もういいや」と思う事も恥ずべき事ではない。私もこれからさらに歳を取った時に「なんだかとても眠いんだ」と召されるのが、私が先なのか、股間のパトラッシュが先なのか、それは誰も知る由もないのである。